試し銘いろいろ

 

 江戸時代を通じて、刀の利鈍を屍をもって試すことが流行っていたようである。文献によると人体各部を斬る以外に胴をいくつも重ねてその数を競ったりしていたこともうかがえる。これは斬り手にとってはその技前を、刀の持ち主にとっては斬れ味を誇る絶好の機会でもあり余裕のある武士は高い試し料を払っては、こぞって試しにかけたようだ(自分でやれよ〜、失敗が恐いんでしょうねえ、笑)。胴を重ねるときには一の胴と呼ばれる部位を重ねて斬る。二つ胴、三つ胴はけっこうざらにあったとか。さすがに四つ胴ともなるとぐっと少なくなり、江戸初期の著名な斬り手山野加右衛門永久大和守安定の刀を以って五つ胴を落し「天下開闢以来五ツ胴落」と象嵌銘を入れさせているがこうなると最早幻の斬れ味とでもいうのか、文献上での文字でしか味わうことができず見ることは適わない。

そういえば、実際売り物として出回っている刀で「試し銘」のある刀をどれくらいみただろうか。ここ数年で見かけたものをざっと探してみた。当然画像がないものもある、例えば法城寺正弘の「三ツ胴落」なる刀を見たが画像はない。そうしたものも含めると、ここに紹介した倍くらいは出回っていただろうか?それにしても少ないといえば少ない。やはり記念碑的意味合いからなかなか手放さないといったところか。

なにはともあれ、次のように区分してみる。

 

人体各部試し

 

1 2 3 4 5 

 

1会津十代兼定:脇毛を落しさらに土壇まで払ったという意味  2角元興:山田浅右衛門吉豊(八代目)の試しによる。太々を落したという意味  3角元興:この刀工の作には試し銘が多い、同じく太々落し 4御勝山永貞:山田源蔵は吉豊の前名、これも太々  5泰龍斎宗寛:これも太々落し  6近江守助直:新刀を幕末に山田源蔵に試しをさせている、雁金落し

 

7 8 

 

7御勝山永貞:山田吉豊による太々。よくよく斬り手が限られてるようで  8泰龍斎宗寛:両車   9備前長船則光:雁金と太々とを落している。古刀を幕末に試しにかけている例

 

一つ胴落し

 

10 11

 

10越前下坂継広:一の胴という部位を落したという意だが、重ね胴もここを斬るので  11備前長船久光:これは古刀を江戸時代初期に山野勘十郎に試させたもの。片手で一の胴を落したという意味

意外に少ないのは、単に「人体の部位」という点では上の「太々」などの方が困難だからだろうか?重ね胴ではないので「人体各部試し」に分類しても良かったのだが分かりやすいと思って・・・

 

二つ胴落し

 

12 13 14 15 16

 

12古三原(大磨り上げ無銘):二つ胴落しの他、太々なども落している。古刀の斬れ味を示す貴重な試し銘  13虎徹:虎徹には山野親子の試し銘が非常に多い  14佐々木一峯:山野勘十郎オンパレード 15薩州清左:二つ胴を何度となく落している意  16山城守国清:奥床しい試し銘

 

17 18 19 20 21 22 23

 

17親国貞:大坂新刀にはあまり試し銘のあるものは少なく貴重。とかく子の真改に喰われ勝ちな親国、頑張れ!  18千手院盛国:虎徹の師匠説もある盛国、非常に試し銘が多く斬れ味は評判である  19肥前忠国:肥前刀にもたまにこうした試し銘のあるものを見かけるが数は少ない。忠国は比較的多い方である  20備前長船清光:古刀もこのように稀に試しにわざわざかける  21美濃兼伴:これはわざわざ無銘にして試しにかけ「兼定」として伝えたフシがあるいわくつき  22武州安家:あまり知らない名だが、大和守安定門下。さすが斬れ味でなる安定の弟子  23法城寺正弘:当然この人にも試し銘はあります♪脇毛と二の胴の違う部位を重ねあわせて二つ胴落したという意味であろうか

 

24 25 26 27

 

24上総介兼重  25上総介兼重:山野親子フル出動?二つ胴の後三ヶ月に今度は中ノ車(どの部位だろう?)も落している  26肥前国広:これも珍しい肥前刀。江戸での試しでしょう、当然  27武蔵大掾忠広:肥前国忠吉も当然最上大業物なので相当に斬れたんでしょう。でも試し銘のあるものはあまり見かけない。やはり収まるべきところに収まっているということか

 

三つ胴落し

 

28 29

 

28越中守正俊:上品な三品系にも気迫のこもった刀があります!  29千手院盛国:斬れるんだろうなあ、ほんとにこの人のは!浅草ってのが妙に親近感あるようなないような・・・・

 

四つ胴落し

 

30 31

 

30法城寺貞国:はじめに二つ胴を落し、後日四つ胴にも挑戦し見事落しておる。六十五の高齢にもかかわらず腕の冴をみせる山野加右衛門永久、元気な人は今も昔も変わらないということか。刀も法城寺一派というのが嬉しい♪  31越前兼中(大磨り上げ無銘):さらにその二年後、三つ胴落してから四つ胴も!刀も凄いが斬り手も凄い

 

 

 こうしてみると、現在では「三つ胴」以上はめったに出回っていないように感じる。四つ胴落しの虎徹、五つ胴の安定などはもう市場には出てこないのでしょうか?重ね胴の記録は文献にはよく記載されて活字では見ますが古刀の関兼房「七ッ胴 延宝九年二月廿八日 中西十郎兵衛如光(花押)」の金象嵌入りなのだが、2004年の日本美術刀剣保存協会の重要刀剣審査において重要合格となっており、今更ながら現存、健在ぶりに驚かされたりして

しかし、首斬り浅右衛門は仕事柄でしょうが、江戸初期の山野親子も相当に斬りまくってますなあ・・・!そういえば、自称愛刀家・美術研究家で某大学講師なる人物が日本刀の研究書籍を出版してましたが、四つ胴落しの虎徹の写真を引用してそこに切ってある山野加右衛門永久の金象嵌試し銘から「虎徹、本名山野加右衛門」と紹介しているのにはたまげましたわ!刀剣書籍をまともに一冊も読んだ事がない人が、いろんな資料を取り寄せ聞き語りをそのまま受け売りしたとしか考えられない間違いだが、これがほんとなら大発見。江戸初期の、特に江戸在住の著名刀工は実は皆同一人物だったってことになる!あ、それで作風が虎徹に似るわけね、謎が解けたァ、なんちゃって(爆)!あの本今でも紀伊国屋などの大書店の美術書籍コーナーに見かけるが、日本刀の世間一般的理解なんてこんなものなんでしょうねえ。おっと脱線脱線・・・!

 

2005.2.18追記

 もう一度過去の「売り物・商品」として出回ったものを探してみると、見過ごしていたものが案外あったので、追加してみた。画像の番号7〜9、24273031がそうである。

 また見つけた範疇での結果だが、江戸時代前期においては「重ね胴」が多いようである。胴の数でみると、二つ胴がよく見受けられるといっても差し支えなさそうだ。

一方、幕末は古刀などの試しも含めて人体の部位、とりわけ太々や雁金といった困難とされるところを斬ったものが多いようだ。あまり重ね胴は好まれなかったのか、屍胴不足なのか。ま、あまり想像したくないが・・・・。

 

 

危ない路線になってきたので逃げる

 

 

 

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