武士の魂・刀

 

〜その流れと変遷〜

 

 

 

*このコンテンツは元々「武士の意気地」HPにおける日本刀解説に始まったものです。 個人サイトとして私法城寺が管理することにはなりましたが、武士の意気地管理人須保様のご好意に感謝して引き続き上記の挨拶文はこのまま掲載といたします。

 

 

須保孫右衛門角長・注

 

「武士の意気地」を立ち上げるに当たり、「刀」という項目は避けて通れないテーマでありました。

しかし乍ら、刀に関してHP製作者が素人であり、且つその資料を入手するにも、素人目では如何なる点に重点を置いて資料を吟味すればよいかすら分からず、この際刀剣愛好家であらせられる、法城寺先生に執筆を御願いしようという事になったものです。

幸い、先生は快く引き受けて下さり、此処に先生の執筆された、資料としても貴重な原稿を公開出来る運びとなりました。

先生の御協力に、深い感謝の意を表します。(照れますなあ・・・・!)

 

 

序  文

 

 私は刀剣それも日本刀を趣味としています。そう言うとたいていの方が「めずらしい」と仰います。さらに「どうも良くわからない」とも付け加えられます。もっともなことです。なぜなら、絵画や陶芸(日本の書画・骨董も含めて)のように、何十種類もの写真集などが安価で出版・販売されたり、展示会などがメディアを通じて大々的に開催されることがほとんどないからでしょう。実物はおろか写真すら目にしたことがないので、わからないのが当たり前なのです。いつかは「刀剣」を「闘犬」つまり犬と間違われたこともありましたっけ。こんな笑い話になるくらい知られていない、ということなのでしょう。

 ただ、「あんなもののどこがいいんだ」とか「あんなものは美術品じゃない」と言われる方も多く、愛刀家にとっては悲しい現実に直面することもあります。

 私は、どこぞの怪しい新興宗教の教祖ではないので、目にしたことのない物まで信じろなどということは言いませんが、逆に見てない物までけなすことはやめて欲しいと常々思っております。

 人の美術感は人それぞれ違います。実際に刀剣を目にしてもそれに美術的な魅力を感じないこともあるでしょう。ただ、そうしたどうしても共感を得れない方にもひとつだけ理解していただきたいことは、日本刀はその発生からつい明治時代に至るまで、日本史と密接な繋がりがあった、というところです。

 太刀が誕生し日本刀の形状が完成する背景に、戦闘の歴史があります。戦闘というものは決して歴史上で避けて通れない重要なファクターです。また、徒戦から馬上戦、集団戦へ戦闘の形態・規模が変わるにつれ、日本刀の形状も様々な変化を見せます。逆にいえば、日本刀の形状を見て、どういう時代でどういう戦闘形態だったかもある程度特定できるのです。そして、その裏側に天皇家や朝廷・時代時代の権力者との絡みもあり、単にたかが刀では済ますことの出来ない側面も持ち合わせていることも見逃せません。

 現在は、こういう日本刀を武器として使わなくてすむ時代ですからこそ、日本刀のもつ歴史的背景を理解し、その美術的な面にも興味を持っていただければと思います。国宝に指定されている刀剣の中にはなんと一千年前と変わらぬ姿を残し、当時の輝きを今に見せてくれるものもあります。これを「歴史」と言ってはいけないのでしょうか?

 

 ここでは、直刀から反りのある日本刀の誕生、太刀の時代、そして太刀から刀への移行する時代、刀の時代等いくつかに区切って解説を試みたいと思います。出来るだけ簡潔にするため、細かい部分についてはこちらのほうで省略させていただきます。全体的な流れを把握していただくことを主眼としますので、あらかじめご了承下さい。

それでは日本刀の世界へどうぞゆっくりと。

 

2005.1 このコンテンツは書き始めてから既に数年が経過しております。当時とは考えが変わっている部分もかなり出てきており出来うる限り修正・加筆を試みております。拙文はなにとぞご容赦ください。

 

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